最近壁に当たっている。いろいろな情報を発信する立場になりいろんなところに発言、登壇、執筆をするようになったのだが、本当に向いてないと思う。
いつも言ったこと、書いたことをおさらいしていくと自分が言いたいことの核心をついていない。言葉足らずで結果誤解を招いてしまうことが多い。自分なりになぜそうなるかを考えてみた。その理由の一つが忖度(そんたく)だ。
忖度 と言う言葉が合ってるかどうかは別にして、いろいろなところで発言する時、書くとき、人に伝えるとき、いろいろなバックグラウンドやその人の気持ち、様々なことを考えて発言しているうちに、いつの間にか装飾が大きくなり中身が伝えられてないように感じる。
そして、そういうことが増えていけばいくほど自分の発言の重みと言うものがなくなり軽視されていくようになる。悪循環。
本当に今後「どストレート」に伝えたほうが伝わるのだろうか。でも、そうすると相手のモチベーションを下げたり傷つけることもあるし。ビビってしまう。
アメリカでは本当にストレートに伝える。微妙と言う言葉の英訳がない位、中間はあまりなく、イエスかノーか。原点に立ち返りそのほうがいいのかなとも考えた。そして、もう一つの原因それは回りくどい言い方含め、自分が伝える時、相手に「察してほしい」が大前提にあったのではないか。
この「察してほしい」という自身の気持ちが結局「伝わらない」になっていたと気がついた。
結局何が言いたいかというと、人になにかを伝える時は相手に対して具体的な行動につながる伝え方(Call to Action)をしなければ意味がないと言うこと。
ストレートに的確に。忖度せず、察してくれという気持ちを持たず、相手が具体的な行動にすぐに出れるように伝える。
自身へのメモとしてここに記しておこうと思う。